私たちの事業は、街づくりに関わります。ただし、日頃取り扱う諸資材が表舞台に立つことはあまりありません。それでも、コンクリートや鉄から生まれた土台は、それこそ街の礎となって私たちを見守り続けます。私たちグループは、昭和31年から地域と共に歩んできました。稀有な歴史を有する相双地方において、建設が果たす役割は限りなく大きいものだと考えています。なぜならば、それは文明が始まって以来、人間社会の在り方に深く関わるものだからです。人々の歴史舞台を整え続けてきた土木や建築という営みは、私たちの地域の未来を創るものでもあります。だからこそ、「良いものを選び、良いものを造り、必要とするところへ届けること」を積み重ねた先にある世界を信じ、私たちの使命に挑戦していきたいと思います。
理想の地域社会を実現するという創業者の夢を、道しるべとして。
東北商事株式会社 | 代表取締役 |
東北レミコン株式会社 | 代表取締役社長 |
佐藤 大二郎 |
創業者の佐藤十郎は、大正12年(1923年)に浪江町棚塩で10人兄弟姉妹の末男として生まれ、14歳で単身満州へ渡った後、知人が支配人をする会社で商売を覚えました。当時の満州では、高速鉄道・高速道路・ダム建設といった世界水準の土木事業や最先端の都市計画事業が行われており、本土より近代化が進んでいたとも言われています。この数年間の大陸生活は、若き十郎の世界観に多大な影響をもたらしました。戦後、突き動かされるかのように、多くの会社設立と事業立ち上げに参画していきます。自身を襲った数度の大病や労働争議など幾多の困難に見舞われはしましたが、社業と地域の発展に向けて突き進み続けました。
創業者は、会社や家庭では大変厳しい存在でしたが、取引関係、血縁関係、共同体関係など、社会とのつながりを大切にする人でもありました。若き日に抱いた社会への理想は、生涯を通じての原動力であり続けたのです。この創業者の理想こそを受け継いで、私たちの事業に挑戦していきたいと思います。
創業者:佐藤十郎が福島県双葉郡浪江町棚塩にて佐藤藤助・トヨの第十子として生まれる
佐藤十郎が独立し、福島県相馬郡小高町(現・南相馬市小高区)にて東北商事株式会社を設立
相双地方を地盤に建設資材販売事業を展開
原町小野田レミコン株式会社(現・東北レミコン株式会社)を福島県原町市(現・南相馬市原町区)にて設立
小野田セメントグループ(現・太平洋セメントグループ)の一部出資・技術協力を受け、相双地方の建設需要に対応するかたちで生コンクリート事業に進出
原町工場竣工
双葉工場竣工
相馬工場竣工
小野田セメント㈱(現・太平洋セメント㈱)の輸送基地である相馬サービス・ステーション(SS)建設実現に尽力
(同基地の稼働は「相馬港の重要港湾指定(昭和49年)」に繋がることとなる)
小高工場竣工
東北商事㈱の新社屋を小高町(現・南相馬市小高区)に建設
グループ2社の代表取締役社長交代(佐藤十郎から佐藤研一へ)
創業者:佐藤十郎死去
小高工場閉鎖
東日本大震災と福島第一原発事故により双葉工場休止
東北商事㈱の社屋も福島第一原発20km圏内となり、本社機能を東北レミコン㈱相馬工場内に移転
東北レミコン㈱原町工場構内にグループ2社の新社屋を建設(本社機能を統合)
東北レミコン㈱の代表取締役社長交代(佐藤研一から佐藤大二郎へ)