地域の未来を、かたちにする営業とは?

営業の仕事を始められたきっかけを教えてください。

元々は技術系で、宮城県でヨットやモーターボート、漁船・遊覧船などのエンジン修理といったことをしていました。結婚を機に地元に戻り、社員の紹介で東北レミコンに入りました。旧小高工場と旧双葉工場に1年ずつくらいいまして、製造、品質管理、忙しいときは輸送と三刀流でした(笑)

入社して数年目のある日、工場次長から「社長のところに行ってきて」と言われ、どういう訳か突然「これからは営業として頑張って下さい」と言われて始まったがきっかけです(笑)

当初はすごく戸惑いましたね。営業の経験は全くなかったので、まず何をしたらいいのかもわかりませんでした。同郷の半谷常務が既に営業にいたので話を聞きながら、あとは自分の親くらいの年代の先輩から教わりながら、いろいろ試行錯誤してなんだかんだやってきました。

なんだかんだにしてはとても長く続けられていますが、続けられた要因は何でしょうか?

あんまり考えたことないのですが…人と話をしたり、自分で営業して仕事が取れたりすることが励みになったところはあったかなと。

あとはやはり、東北商事という地域で名の通っている会社の社員だというのも大きかったと思います。私個人の力だけではなくて、お客さんにも「東北商事」という名のおかげで話を聞いてもらえたり、仕事をいただけたと思っています。

日常的に現場とのやり取りが多いのですね?

そうですね、密に連携しています。現場の監督さんも忙しいと、資材の注文を忘れることがあるんです。

生コンクリートの注文を忘れて、「今日現場で使いたいんだけど何とかならないか?」という飛び込みの連絡を受けることもあります。全部が全部、解決できるわけでは当然ないのですが、それに対していかに応えるかが大切だと思っています。うちにはグループの生コンクリート工場がありますし、他の資材がない時には問合せできる仕入先をいろいろ当たるなどして、できる限り現場に間に合わせるよう努力します。

普段からの仕入先との関係性は、そういう時ほど大事になります。計画的に打ち合わせしておければ一番ですが、お客さまの緊急時に「間に合いません」の一言で済ませるわけにはいきませんので。
私たちが実質的に関わるのは資材を納品するところまでですが、本当は施工して気持ちよく使っていただくまでが自分たちのゴールだと思っています。

困った時に、声をかけてもらえる存在であるというのは重要ですね。

そうですね。もちろん何社かに声をかけるケースもあるんでしょうが、真っ先に連絡をいただけるような存在でありたいと思っています。

今までの経験の中で「忘れられない現場・出来事」を教えていただけますか?

いっぱいありすぎて…(笑)

それでも、東日本大震災の時を一番思い出しますね。

当時自宅が避難区域の20km圏内に入ってしまったので、会社を離れて宮城県まで避難していました。ライフラインも寸断され、おそらくもう元の暮らしには戻れないかなと思いながらサバイバルのような生活をしていた時に、半谷常務から連絡があって。「お客さんから生コン欲しいって話が来始めたけど、村澤さんは今はどんな状況?」と。

相馬工場は避難区域外だったので、震災直後から稼働できる状況でした。住む場所も見つかっていない状態でしたが、何か力になりたいと思って仕事に復帰しました。

もともと生コン車の運転はできたので、まずは必要とする現場に運ぶことから始めました。社員の多くが被災したことで、震災直後はドライバーの手が足りなかったのです。
テトラポットに代表されるコンクリートブロックを海に並べていかないと堤防復旧も進まないので、毎日大量の生コンクリートを運びました。自社の車だけでは供給が間に合わなかったので、北海道などの遠方からも車両を借りて対応していました。

あの時は使命感というのかな、なんて言えばいいのかわからないのですが…私たちだけでなく、現場の人たちも被災している中で、とにかく「各々が出来る行動をしていく」という想いがみんなにあったと思います。

地域とのつながりはどんなところで感じられますか?

子供が小さい頃に一緒に出かけたりすると、生コン車が街を走っているのを見て「お父さんの会社の車だ!」って言われたりとか。あとは、この橋やこの水路に「お父さんが納めた材料が使われている」って言えるのは良いですよね。かたちとして残るので。

私たちはものを納めるのが役割ですけど、それを現場で形にしてくださる方々がいないと完成とはならない。少し大げさかもしれないですが、建設業そのものが地域を支えていて、その一端を自分たちが担っているのだと思います。

「東北商事の営業を取り巻く環境」はどのように変わってきたとお感じですか?

働く人たちの世代が変わってきていますね。最初にお世話になった方々は、その多くが引退されています。

震災後には、もともと地元に拠点がない会社が営業所を構えるようにもなり、競争も進んできました。そうした中でも選んでもらうためにはどうするのか、ということが重要になってきています。

今、現場の仕事を仕上げるには「東北商事に頼むのが一番だ」と思ってもらう。「値段+α」をどこまで感じていただけるかだと思っています。

そうするとやはり現場とのつながりも欠かせませんね?

だからこそ、早めに情報を取って、設計書をもとに必要な資材を洗い出すことが大切です。後から変更になることもあるので、現場に顔を出しながらその時々の状況を掴んでおくことも欠かせません。

仕事の中で関わる担当者の方々も、世代交代されて変わってきています。そこをうまい具合につないでいかないといけないんです。営業にはそういうつながりの連鎖を作っていく使命があるということでしょうか。

そこが難しいところでもあり、やりがいでもあります。

これから新しく仲間になる若手のために、どんなことを心がけていきたいですか?

私自身、会社の先輩方によって「東北商事の村澤という存在」をお客様とのつながりの輪に加えていただいたからこそ、今の自分があると思っています。今度は自分が後輩へうまくつないでいくこと。これが、自分のやるべきことだと思っています。